西安(2)ー兵馬俑

西安都心から東にバスで約40分の所に2000年の永き時を地中に眠っていた、死後の秦の始皇帝を永遠に守るため作られた9000点にも及ぶ兵や馬の像が、1974年井戸掘り作業中偶然発見されたf:id:moriwa14911:20181009173927j:image博物館入口
f:id:moriwa14911:20181009173855j:image第一兵馬俑博物館f:id:moriwa14911:20181009173912j:image兵馬俑の不思議

1)6000体以上の兵士は全て顔形が異なる、兵の背の高さは1.8m程度どの様に焼成したのか?(日本の埴輪はせいぜい0,5m)


f:id:moriwa14911:20181009173908j:image発掘中の兵馬俑
f:id:moriwa14911:20181009173919j:image
f:id:moriwa14911:20181009173903j:image現在第一から第四までの兵馬俑博物館となりユネスコ認定の世界文化遺産として公開されている。

f:id:moriwa14911:20181009210923j:image身につけている衣服、髪型から職位、民族がわかる
f:id:moriwa14911:20181009210931j:image
f:id:moriwa14911:20181009210926j:image
f:id:moriwa14911:20181009210941j:image精巧な馬の俑
f:id:moriwa14911:20181009210945j:image第四博物館 青銅の馬車
f:id:moriwa14911:20181009210935j:image2)実物の二分の一の大きさの青銅製屋根付き始皇帝用馬車、屋根の厚さ、日除け傘は約1.5mmの厚さで1.5平米にも及ぶ薄い屋根、傘がこの時代にどのように鋳込むことができたのか!今でもこんな薄くて広いもの鋳込むの難しい。
f:id:moriwa14911:20181009210938j:image

3)銅製の劔、表面にクロームメッキが施され2000年経っても錆びていない。どのようにしてメッキができたのか?

 

2000年前の技術は思っていたよりはるかに進んでいたようだ!当時の中国の彫刻技術は同時代のギリシャ写実彫刻技術とは異なるが抽象化を計り素晴らしいと言える。